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「インタビュー 藤江先生に訊く」 藤江研究室ってどんな研究をしているの?Ⅰ

場所:藤江研究室,日時:2016年秋


今回は「人同士の会話に自然に溶け込むことで、人から‹仲間›として信頼され、様々な仕事をこなすロボットの実現」をめざして日夜研究に励む、藤江研究室の藤江真也准教授にお話をうかがいました。

訊き手:藤江先生、こんにちは。今日は日ごろ研究室で行われているロボットに関する研究のことや、藤江先生ご自身のことをざっくばらんにうかがいたいと思います。先に断っておきますと、興味を持ってここをご覧いただく小学生や中学生、高校生に比べて、訊き手である私にはロボットに関する知識がまったくございません。彼らの中に素人の大人がぽつんと一人参加しているイメージで(笑)、お話しいただければと思います。
藤江先生:わかりました、よろしくお願いします。
訊き手:最初に、藤江先生の研究室はどんなことを研究しているのですか?
藤江先生:人とロボットが楽しく会話をする、快適に会話をするという研究をしています。
訊き手:ロボットと楽しく快適にといいますと?私はロボットがしゃべるだけで、感心しちゃうのですけど。
藤江先生:会話というところがポイントです。コミュニケーションには様々な手段がありますが、その中でも言葉、声を使うことが中心になります。声でコミュニケーションを取るというと、音声を聞いて理解する能力だったり、しゃべる能力があればいいですよね?ちょっと難しい言葉でいうと「音声認識」と「音声合成」という技術さえあればできるかなと思うかもしれません。しかし、実はそれだけではできません。
訊き手:それだけではできない?それはどういうことでしょうか?
藤江先生:実際に僕が今しゃべる時も、体や手を動かしたり、相手の人をちらちら見たりします。逆に、僕の話を聞いている人も、うんうんとうなずいたり、「おや?」と思うことがあれば表情を変えてみたり、時には驚いてのけぞったりとかしますよね?
訊き手:そうですね。無意識のうちに体や表情など、どこかしら動いています。
藤江先生:人同士の会話は、場所とか時間を共有しながら、言葉だけじゃないもののやりとりがあって成り立っています。そういう意味で「快適」という言葉を使ったのです。ロボットやスマートホンなどの機械と会話をする機会は多いと思いますが、その会話はどこかぎこちなく「快適でない会話」ではないでしょうか。
訊き手:なるほど。場所や環境、その場の空気を含めて「快適」ってことですね。
藤江先生:そうですね。すぐに人と同じ能力持たせるのは難しいと思うので、「音声認識」や「音声合成」などの技術を中心に、どう能力を拡げていけば「快適な会話」に近づくか?ということを一つ一つ進めています。
訊き手:その「快適な会話」が藤江研究室での基礎的な研究になるわけですね。そこのところも後ほど詳しくお訊きしたいと思います。

千葉工業大学に着任して思ったこと
訊き手:藤江先生は、2014年に千葉工業大学に着任されましたね。
藤江先生:はい、千葉工業大学に着任して2年半になります。
訊き手:2014年というと「ロボットの千葉工業大学」というのが社会的にも注目を集めていたと思いますが、着任されて印象はいがかですか?
藤江先生:研究室を構えるのは初めての経験なのですよ。それまでいた早稲田大学では、自分が学生の時の先生の研究室に所属して、先生が見ていらっしゃる学生の一部、指導教員の先生の研究室の学生のうち10人くらいの学生を受けもって、いっしょに研究したり発表したり面倒を見ていましたなどしていました。千葉工業大学では人数も増えましたし、3年生を受け持つのは初めてです。未来ロボティクス学科の印象ですが、ここの学科は色々な意味で、かなり特殊ですよね。
訊き手:かなり特殊?それはどんなところでしょうか?
藤江先生:僕は電気工学科で学んだのですが、実習っていうのはあまりなかったですね。電気工学科だというのにハンダゴテを持って電気工作をやることがほとんどありませんでした。ロボットを作るにはそういった工作は避けて通れません。着任してすぐ、1年生の始めの授業「ロボット体験実習」を担当することになり、いきなりこういうことをやるんだなと思い意外でした(笑)。
訊き手:初めてハンダゴテを持つ1年生は意外と多いと聞いていましたが、それを聞いたら1年生も安心して授業に向き合えますね。
藤江先生:あと、早稲田大学のロボットは比較的大きいですね。ロボットの研究をしている機械系の学科の人たちも、何人かのチームで1体のロボットを製作していました。例えば、二足歩行ロボットとか、発声ロボットとか、1人ではとうてい面倒を見切れないようなものを、チームを組んで作っていることが多かった。ロボットの研究は全てそういうものなのかな?と思っていたら、この学科では米田先生や青木先生、他の先生の研究室でもそうかもしれませんが、1人1体、自分のロボットを製作している。そういうスタイルもあるのだなと思いました。
訊き手:研究内容にもよりますけど、たしかに1人1体が多いかもしれません。1年生のスタートからロボット製作だったり、研究室で1人が1体のロボットの製作に取り組んでいるのは、藤江先生のご経験からは特殊だったのですね。
藤江先生:そうですね。僕の研究室では、1人1テーマはあるんですけど、みんなで協力して研究を進めることが多いです。例えば、製作する会話ロボットで「音声を担当する人」もいれば「表情の認識を担当する人」もいる。いろいろな技術を集めるので、それぞれ分担しています。僕や大川先生の研究室を希望する人は、基本的にはパソコンを使った情報処理に関係したことをしたい人だと思いますが、中には機械製作の得意な学生もいて、会話ができる小さめのロボットを製作したりもしています。僕自身はあまり機械加工などをやってこなかったので、新しいロボットを製作するのは難しいのではと思っていましたが、学生の得意なところを活かして、会話に役立つしぐさを仕込んだ新しいロボットの製作ができています。色々な特性をもった学生がいることは、研究の幅も拡がるのでとてもいいことだと思いますね。
訊き手:なるほど。だんだん研究室のことがわかってきました。研究室の学生さんはご自分の担当を熱心に頑張っているでしょうね。卒業生はもう出ましたか?
藤江先生:はい。みんな個々に頑張っています。卒業1期生の1人は音声認識の会社に就職しました。研究してきた音声認識の分野で仕事をすることを選んでくれたのは嬉しいと思います。
訊き手:そうですね。研究したこと、好きなことを活かして就職するのは理想的ですね。

子供の頃はどんなことをしていましたか?
訊き手:さて、話題を変えて藤江先生ご出身はどちらですか?
藤江先生:埼玉県です。
訊き手:小さなころはどんな子供さんでしたか?
藤江先生:期待されるような面白いエピソードはないですけど(笑)。どうだろうなー。コンピュータは比較的小さい頃からいじっていましたね。
訊き手:えっ?失礼ですが、その時代は今みたいにコンピュータが一般家庭に普及していない時代ではないですか?
藤江先生:そうですね。父親が買ってきたのが、僕が小学校の5年生ぐらいの時だったと記憶しています。当時はファミコンなどのゲーム機はあっても、コンピュータがある家庭は少なかったかもしれません。
訊き手:ちなみにどこのコンピュータですか?
藤江先生:NECのPC9801という機種です。
訊き手:なるほど懐かしい響きですね。あの時代の匂いがしてきます。
藤江先生:僕らの世代だと、ぎりぎりフロッピーディスクを知っているか知らないかの世代ですね。大学に入った時は「データを記録する時に使うのでフロッピーディスク1枚持ってきてね」と呼びかけがあったり、なかったり(笑)。PHSやインターネットの登場もそれぐらい。「大学生になってからコンピュータを触った」という人がほとんどで、それより前に触っていたというのはめずらしかったと思います。
訊き手:そうですね、私の住む町でも「あそこの家にはコンピュータがあるんだって。へえーそうなんだ。すごーい。」みたいな真面目にそういう時代でした(笑)。そのコンピュータでどんなことをしていたのですか?
藤江先生:専門雑誌を買ってきて、その雑誌の中に載っているプログラムを打ち込んだりして。ゲームですけど(笑)。
訊き手:何事も導入部分は、楽しさから入らないと長続きしないものですからね。
藤江先生:自分で考えて作ったりもしましたけど、デザインとかゲームをつくるというセンスは無かったので、それはものにはなりませんでした。でも、プログラムに必要な知識は一通りそれで得ましたね。
訊き手:では小学生の時は、家にコンピュータがあってそれに夢中だったと。ロボットとの関連はその時はまったくないのですね?
藤江先生:そうですね。正直に言うと、SFはあまり好きではなくて、ガンダムとかは見ていないです。スターウォーズも見てないし。「ガンダム好き」とか「スターウォーズ好き」の先生がわりと多くいらっしゃいますよね。僕はどちらかというと「鉄腕アトム」が好きです。アトムって人間臭いじゃないですか。捨てられたり、泣いちゃったりとか(笑)。ロボットって言ってもアトムだとかドラえもんだとか、ちょっと抜けている感じの、人と接するロボットみたいな。そちらのストーリーの方が好きですね。
訊き手:手塚治虫先生の作品には人間を見据えた哲学的なものを感じますしね。では子供のころの夢は何になりたかったのですか?
藤江先生:コンピュータそのものに興味があって、大学で研究室を選んだ時も、「人工知能」というキーワードはありました。今でも人工知能の勉強がしたいという学生は、ひとりでに勝手に育つ知能や機械みたいなものを想像しがちですけど、同じようにそういうものを想像していましたね。そんなものをやりたいなっていうのはぼんやりとありましたね。
訊き手:藤江先生は、運動とかスポーツはされていましたか?
藤江先生:中学生の時までバスケットボールをしていました。
訊き手:バスケットボールをやっていた、あるいは今もやっているという先生がなぜか多いですね?大久保先生は研究もされていますし、青木先生も菊池先生も太田先生もやってらっしゃいますね。
藤江先生:去年のスポーツフェスティバルに出場しましたよ。藤江研チームと教員チームの両方で出ました。しっかり1ゴールずつ得点決めていますから(笑)。小学生の頃は、当時はやり始めていたサッカーをやっていました。バスケットボールを始めたのは、中学の時に兄がやっていたので僕も中学になったときにやってみようかって。人口でいうと、サッカー・野球は多くて、バスケットボールは僕らが中学、高校に入るぐらいの頃、スラムダンク(マンガ)で人気が出てきたような感じでした。
訊き手:小中も運動をされていて、コンピュータをいじるのも好きだし、バランスがとれていますね。どちらか一方に偏ってとか、閉じこもってとかじゃない?
藤江先生:そうですね。ただ最近は運動不足ですねー。
訊き手:それは先生がた、みなさん同じことをおしゃっていますね。お腹触りながら太ったーとか(笑)。運動してきたことやコンピュータを触っていた、そしていま教員をされているというのは、ご両親の影響を受けたとかありますか?受け継ぐものってあるじゃないですか?
藤江先生:家にあったコンピュータは、小学校5年とかだったから10歳ぐらいですよね。兄はそのころ大学受験を控えていたので僕ほど触っていなかったと記憶していますが、今はその関係の難しい研究をやっていますね。
訊き手:ある日、お父さんが買ってきたコンピュータ。家にあった1台のコンピュータからご兄弟の将来まで広がってくるお話ですね。高価なものだから触るなよとか、壊すなよって言われなかったことも凄いと思います。
藤江先生:たしかにそうかもしれないですね。
訊き手:お父さんもまったく使わないものを買ってくるわけがないから、ご自分でも興味があったのでしょうね?そういう意味ではお父さんの影響を受けていらっしゃる?
藤江先生:そうでしょうね。単純に理系という意味ではそうかもしれませんね。大学に入るときの学科選びで、自分の中で数学・情報・電気みたいな順番がありました。数学は就職先を見ると、専門家になるか、あるいは全然関係ないものになるかしかなくて、これはちょっと将来不安だなと思って避けました。コンピュータに興味があるので情報が一番自分には合っているとも思いましたが、コンピュータだけだとやはり就職先が限られてしまうのではないかと思いました。じゃあ電気にするかということで、電気工学科にしました。
訊き手:電気工学科を選んだっていうのは、その先に先生になるという選択肢はあったのですか?
藤江先生:大学の先生ですか?どういう気持ちだったかはっきりは覚えていないですけど、大学に入る時点では修士課程を終えたら就職すると言っていましたね。僕らの時代は修士課程に半分以上の学生が行っていましたので。その先に博士課程に進むことは考えていなかったかもしれません。
IIにつづく

千葉工業大学 藤江真也研究室 http://www.fujielab.org